「西郷どん」
坂本龍馬曰く「小さく叩けば小さく響き、大きく叩けば大きく響く男。もし馬鹿なら大馬鹿で、利口なら大利口だ」
それが西郷隆盛。
日本史上、最もスケールの大きな男。
知ってるつもりの「西郷隆盛」像をぶち壊し、誰も描かなかった愛すべき“人間西郷”を描きます。
決して聖人君子ではない。純粋な子供そのものの面と、はかりごとを始めると悪辣(あくらつ)な事をいくらでも思いつく頭脳を兼ね備えている。しかし、西郷という個性の男を以てしなければ、新しい日本は生まれなかった。
その素顔は謎に満ちていて、肖像写真は一枚も残されていない。
幕末に輝いた唯一無二の愛すべき個性が、いかに育まれたのか?
愛らしさ、人間臭さ、たくましさ、ユーモア、そして家族や友への深い愛…。
「西郷どん」の生命力あふれる波乱の生涯が、愛にあふれた家族の物語となり、エネルギッシュにみずみずしくふるさと薩摩から動き出す。
* 西郷隆盛、略歴 *
鹿児島下鍛冶屋町、薩摩藩の下級武士の家に生まれる。
名君・島津斉彬に見いだされ、強い影響を受ける。
斉彬の亡き後、藩の実権を握った島津久光とは折り合わず、2度の島流しにあう。
小松帯刀や大久保利通の尽力により藩政に復帰した後は、禁門の変、長州征伐、薩長同盟、王政復古、戊辰戦争、江戸城無血開城など主要な局面で活躍。
維新三傑(西郷隆盛、大久保利道、桂小五郎)の一人であり、維新最大の功労者である。
維新後は、一旦薩摩に戻るが、明治新政府の強い要請により参議として政界に復帰。
また、陸軍大将および近衛都督を兼務することで、日本の軍隊の最高責任者となる。
しかし、明治六年の政変により、辞表を提出し、再び鹿児島に戻り、私学校で教育に専念する。
明治10年、私学校生徒の暴動に端を発した西南戦争では、指導者として担ぎ上げられるが、城山総攻撃で敗北し自刃する。
身長:五尺九寸八分(181.194cm)
体重:二十九貫(108.75kg)
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